
大二中を分断する道路計画を考える会
大泉学園駅南側地区。
この緑豊かでのどかな地域に、大型道路はいらない。
大二中の卒業生やその保護者のみなさんの声を紹介します。
大二中の卒業生やその保護者のみなさんは、この道路計画をどう思うだろうか…。そんな気持ちから、卒業された方や卒業生の保護者の方々に、大二中の思い出や道路計画への考えを語っていただきました。大二中の教育環境と周辺一帯の環境が、いかに貴重で得がたいものかが、ありありと伝わると思います。
▼大二中OB一期生 Yさん
この計画は、半世紀以上も前に計画され、決定されたものであることを知りました。そのような時間経過の中で、なぜ今なのかと思わされています。しかも次の日本を背負う子供達の教育の場を二分するものであること。
それにしても時代錯誤も甚だしい。いえ、今の日本の有り様と酷似している。最近の世の中の流れはハード面が優先されソフト面が蔑ろにされる傾向があるように感じています。
多感で、自我が芽生える中学校時代に教育の場が最悪の環境になりその上二分されるとは。大二中は、戦後の人口増加に伴い大一中から分かれ分校として誕生しました。大二中の一期生としてたった1年の学校生活でしたが、すべてが整っていたとは言えなくとも、小さいながら活気に溢れたものでありました。一期生の自負を持って先生方と共々に一体感を持って学校生活を送っていたと思います。その中で培われた友達は今尚繋がっています。
周りは閑静な住宅地であり、近くには南小、学芸大付属の小中学校、ちょっと離れて都立の大泉高校と文教地区に特化されていた地域ではなかったのでは?! 故に、決定された事案が半世紀以上も実行に移されることなく今に至ったと理解します。一度決定されたものを廃棄することは容易ではないでしょう。しかしこれからの日本を担う子供達の3年にも及ぶ教育の場を、道路という代物で壊して良いとは思えません。
教育は過去を、今を起点として、何世代も続き、国という大きな組織を動かす礎と考えています。英断を持ってこの計画が中止され!より良い教育環境が与えられることを切に願います。
▼大二中OB一期生 Tさん
手紙をいただきながら、病状が進んだ主人の世話に追われ、さらに先日弟が亡くなり、お返事を書く余裕もなく、電話で失礼します。学校の中を大きな道路が通り、交差点ができるなんていう学校がほかにあるんでしょうか。事故が起きたらどうするんでしょうか。何が起こるかわからない交差点。道路でグラウンドが狭くなるのでどうするんでしょうか。特に中学時代はこどもたちの成長過程で大事な時期です。うちのこどもたちも「到底あり得ない計画だ」と言っています。小学校6年生のまごも「びっくりした」と言っています。
こどもたちが「手紙は書けなくても電話で反対できるんじゃないの」と言ってくれました。電話でもいいでしょうか。大二中時代の楽しい思い出が浮かんできます。名前だけでもいいので、反対に加えてください。
▼大二中OB一期生 Iさん
私は品川区に在住しています。品川区では学童の減少問題を抱えており、2校の中学校と2校の小学校が統合され、小中一貫校の豊葉の杜学園が創立されました。小学校、中学校とも歴史ある学校でした。
補助135号線と補助232号線が大泉二中の敷地内を通り、且つ敷地内で交差します。大泉二中の敷地は格段に狭くなり、学校の機能を維持する為にも校舎や運動場の拡張が必要となります。また道路を隔てた別棟に行くには連絡通路を渡らなければならず、生徒や先生との交流が減ることが考えられます。
大泉南小の敷地内にも補助232号線が通り、両校は学校敷地内を道路が通るという共通の問題を抱えています。両校は共同でこの問題に取り組むべきと考えます。
大泉南小の子はほとんど大泉二中に行くそうなので、両校を統合することを考えてみました。小中一貫校です。統合により生まれる敷地を有効利用します。敷地は校舎敷地と運動敷地に分け、校舎敷地には小学1年生から中学3年生が学ぶ校舎と体育授業ができる小運動場を設け、運動敷地はグランドとし、部活や運動会に使います。
補助135号線が大泉二中の敷地内を通ることは、私も在学中に聞いていました。後に補助232号線が計画され、その交差地点が大泉二中の敷地内に辺ります。練馬区は「やむを得ない」と考えていたようです。練馬区が「どんな大泉二中を再生してくれるのか」楽しみです。
▼大二中OB一期生 Mさん
昔々、そんな話もありましたよね。いよいよ計画が実行に移るんですね。
大二中3年3学期、新校舎に移ったものの、机はあっても椅子が未着。我々生徒は校庭の草取りやフォークダンスを楽しんだ思い出があります。
青春の1ページでもあります。いつまでも残していただきたい!!
▼大二中OB一期生 Wさん
緑豊かな武蔵野の雑木林、牧野富太郎の自宅、白子川の源流“井頭公園”など、みどりと清流に恵まれた地域でした。懐かしい思い出も、大泉を離れて30有余年、大泉学園は遠くなりました。
問題が多々発生するとは思いますが、率直にお伝えすれば、私には熱く語る程の情熱は持てません。
残された人生は静かな時間を過ごしたく思っております。
80年近くも前の道路計画。まるで、眠っていたゴジラが目を覚ますような話ですが、この様な事があってはならないと考えております。
交通量の増加に伴う排出ガス・通学路の安全確保等々、良いこと等何もありません。教室は、夏は冷房・冬は暖房、せめて春・秋は季節の自然の風を受け入れる環境が失われてしまいます。
日本は人口減少問題を抱え、運転手不足・配送問題・バス路線の減便や廃止などがニュースになる時代です。日本の人口構成は逆ピラミッド構成で、一目瞭然のグラフに、2015年、2020年、2030年、2045年等々、予測も出ております。5年後、10年後はこの逆ピラミッド構成がそのまま0歳児が5歳・10歳へと推移していくだけです!
人口減少は、日本が縮小方向へ、消費社会は縮小することで、離れが進み、新たな道路は誰が利用するのでしょうか?
▼大二中OB一期生 Oさん
今の段階で計画を全面撤回させることは難しいと思う。ほかの関係もあるので。そうであれば条件闘争が現実的ではないか。ホームページも読ませてもらった。全面移転案、校地の再形成案、現位置での再建案。
私も考えてみた。大二中の西側の部分を南小の区域まで買収する。さらに大二中の北側も買収する。これで大二中と南小まで地続きになる。大二中の校舎部分は西の買収部分と北側の買収部分の代替地にする。全て練馬区の土地になるので多少の応用が利く。将来的に小中一貫にも対応できる。
もう1つの案として、135号線を東に持っていって、232号線は南に持っていく案も考えたが、ここまで出すと住民同士の対立になってしまうのではないか、無理だと思う。
このまま行ったら、子どもたちも大変、橋を渡っていかなければならない。先生や警備員も目が届かなくなる。道路による学校の2分割は私も反対だ。やるなら1つの土地にして、学校の設備も機能も十分果たす。緑も増やす。
大泉の地域にいないのでそんなことが言えると思われるかもしれないが、自分なりに考えてみた。
▼大二中OB一期生 Aさん
私は大泉二中の第一期生です。3年生になるときに大泉中から分かれて大泉二中に移りました。
新しくできたばかりの学校で、先生方はじめ生徒たちも良い学校にしたいと一生懸命頑張っていたように思います。楽しい充実した一年間でした。
その学校が戦後間もない頃にできた道路計画等によって十文字に分断されるというのはどういうことなのでしょうか。多くの卒業生もいます。
少子化が叫ばれている今、なぜ子供たちをそのような環境に追い込まなければならないのでしょうか。若い人たちがますます子供を育てにくくするような計画は即刻中止してほしいと願っています。
▼大二中OB一期生 Mさん
開校67年、校庭には見ごとな桜
歴史ある大泉二中を守ろう
「道路計画の見直しを‼」
近隣には自然豊かな、今人気の牧野庭園もある。
環境悪化が心配です。
▼大二中OB一期生 Hさん
2年生まで大泉中で学び、3年の時に大泉二中が開校し、転校となりました。と言っても、大泉二中の教室は1年生と2年生の分しかなく、私たちは大泉中に間借り生活でした。卒業アルバムの集合写真も大泉中正門前で「大泉第二中学校分校」の看板とともに撮られています。
そんな環境が、逆に団結心というか大二中愛を育んできたようにも思います。放課後は15分ほどかけて大泉二中に移動し、校庭にゴロゴロしていた石ころを拾い、フォークダンスのオクラホマ・ミクサーを下級生を交えて踊るのが楽しみでした。先生たちも開放的な雰囲気を一層後押ししてくれて、生徒と先生の一体感を感じた1年でした。
あれから66年、後輩たち、先生たち、地域の人たちによって大二中愛の歴史は深化し、愛される学校になったのだと思います。
そんな大泉二中がいま、2本の大型道路で壊されようとしているのはとても悲しいことです。どうしたらこんなことができるのでしょうか。こどもたちにとっても、地域にとっても、将来の世代にとっても取り返しのつかないことです。考え直してください。
▼1995年大二中卒 Gさん
大二中の思い出ですか? 中学3年間は広いグラウンドでずっと野球をしていました。ホームランバッター(?)としては、時々武道場の屋根まで白球を飛ばすのが気持ちよかったですね。新しい道路計画を聞きましたが、校舎から道路を超えてグラウンドに行くのは無理でしょう。本当にそれしか方法がないのですか。すでに子供が自由に遊べる遊び場もないのに、校庭まで小さくなればいよいよ子どもを家の中に閉じ込める方向に行きますよね。狭い校庭ではもう野球をすることはできませんね。ホームラン打ったら道路に飛びこんでしまいますからね。なりより残念でなりません。今の校庭と学校を継続することを望みます。
▼1993年大二中卒 Nさん
中学ではワンダーフォーゲル部に入っていて、山登り訓練の一環でよく桜の木に登りました。校庭を見下ろして気分がよかったです。道路が通るということは桜の木も無くなってしまうのですか。大二中の象徴をなくしてしまうことになります。大きな道路が通れば、排気ガスもたくさん出ます。その排気ガスの中でそれを吸いながら運動するのは問題です。人口減っているのに道路はいりません。そのお金を他のことに使ってください。計画を変更することは別に悪いことでも恥ずかしいことでもありません。70年前の計画はもう止めにしましょう。
▼2020年・2022年大二中卒の保護者さん
娘、母、祖父母みんな大二中卒業生です。娘たちはお勉強は苦手ですが、大二の特徴でもある行事や部活を思いっきりさせていただきました。そのおかげで自信もつき、夢に向かって進んでいます。
あの広い校庭がなくなり練馬百景にもなった桜がどうなるのか心配です。
大二中に育てていただいたこと本当に感謝しています!
▼大二中OB Yさん
大二中問題とは何なのか
正気の沙汰とは思えない「貴重な教育環境」を破壊してまで道路を通そうとすること。
中学校の校庭のど真ん中に十字路を作る都市計画を見直せば済む話です。
なぜ、今となっては明らかに愚かな都市計画を行政は見直そうとしないのでしょうか
232号線は、学芸大学付属大泉小中学校を避けているにも拘わらず、練馬区立大泉第二中学校敷地を東西に貫通する計画です。何故なのでしょうか。
学芸大学付属大泉小中学校は大切な教育機関であるものの、練馬区立大泉第二中学校はそれこそ“どうでもよい中学校”ということでしょうか。これって、恐ろしい差別思想に立脚した考えではないでしょうか。優れた人間が劣った人間よりも価値があるという前提のもと、社会にとって有用か否かで人間を評価し、有害な人間や不要な人間は排除してよいとする優生思想と根幹は繋がっているように思えます。
例えればナチスと同じ危険な発想です。
一方、教育環境を明らかに劣化させる道路を通すことが何故に重要なのでしょうか。
道路計画ありきで学校を移転させるなど、本末転倒、愚の骨頂ではないでしょうか。
日本は今や経済大国でも先進国でも無くなろうとしています。
今、求められるのは未来への確かな投資です。少子化対策も兼ね、教育環境の充実が豊かな未来への課題であるにも拘わらず、時代遅れの不要な道路を通すことを優先しようとする根拠は何なんでしょうか。是非とも理由をご教示いただきたい。
どうしても必要な道路であるならば、中学校敷地を横断する計画を見直せばよいのではないでしょうか。それができないようであるならば、この道路計画は廃棄されるべきではないでしょうか。
そもそも、国土交通省は都市計画運用指針において「長期にわたり事業に着手されていない都市施設に関する都市計画については、見直しのガイドラインを定めるとともに、(中略)都市計画決定当時の必要性を判断した状況が大きく変化した場合等においては、理由を明確にした上で変更を行うことが望ましい」とし、都市計画施設等を定期的に見直す考え方を示しました。ほとんどの自治体で取り組んでおります。練馬区はご存じないのでしょうか。
練馬区立大泉第二中学校は奇跡の教育環境を有しております。
現在の最高裁判事15名のうち2名は卒業生です。オリンピック選手、プロ野球選手、芸能人など多方面にわたり有為な人材を輩出し続けてきました。おそらく、日本全国探しても他に例がない貴重な公立中学校ではないでしょうか。何故、破壊するのでしょうか?
練馬区が日本の恥、全国の笑いものにならないことを願ってやみません。