top of page

大二中を分断する道路計画を考える会
大泉学園駅南側地区。
この緑豊かでのどかな地域に、大型道路はいらない。


ひとめ見て分かるように、大泉第二中学校をタテヨコに分断し、大泉南小学校を突き抜けていきます。この計画道路は現道(すでにある道路で、計画の一部になるもの)がないので、多くの住宅地がもろに巻き込まれます。何でこんなことになってしまったのでしょうか。
135号線は戦後間もない1947年に都市計画決定され、232号線は1966年に都市計画決定されました。実に70年以上前、50年以上前の計画です。さらに大元の線引きをたどると戦前までさかのぼります。何もないところにいかようにも線が引けた時代です。
1947年当時の大泉学園駅南側地区はほとんどが畑で住宅はまばらでした。戦後の復興とともに急速に宅地化が進みますが、練馬区が中期実施計画に組み込む2006年まで道路計画に動きはなく、「いつになるかわからない」「そんな計画は実現しない」と言われて土地を買った、という住民の声を多く聞きます。「まったく知らなかった」方たちもいます。70年以上前、50年以上前の計画を盾に、立ち退きを迫られる住民はたまったものではありません。
大泉二中は135号線計画があるのを承知の上で1957年に開校しました。232号線は大泉二中が建っているのに、大泉南小(1959年開校)も建っているのに、かまわず都市計画決定されたのです。行政側の責任が問われます。教育委員会は何をしていたのでしょうか。
bottom of page